ファイブ・シスターズの窓
前回お伝えした、「会報」 びどりを」 の創刊号に、先代の田中幹敏先生(現在は引退されています)が、「ステンドグラス 世界の旅」 という記事を掲載していました。
今日は、その記事の全文を掲載します。
イギリスはイングランドの北の方、ロンドンから340kmほどの処に、ヨークという町があります。前回の研修ツアーでは日程の関係で訪れる事ができませんでしたが、中世の頃ロンドンに次ぐ人口の多い町であったと言われ、そのためか教会堂も多く、ステンドグラスの工房もたくさんあって繁栄していたようです。
優れたステンドグラスの画工には、「自由市民」という特権的な肩書きが与えられていたという事で、1313年〜1540年の間に百人の自由市民が登録されていたそうです。
ヨーク・ミンスター、オール・センツ・チャーチ、セントドゥニス、サン・マルタン・ル・グラン、ホリー・トリニティー・イン・マイクルグィト、ノース・ストリート等の寺院に優れたステンドグラスが保存されているそうですが、特にヨーク・ミンスターには、130の窓を数える中世イギリスの最大のコレクションを誇っています。
その中でも、「ファイブ・シスターズの窓」 (五人姉妹) と呼ばれる五つで一組をなしていて、高さが50フィート(約15m)、10万個のガラス片からなり、グリザイユで描かれた褐色の繊細な網模様に、赤・黄・青の色が点在し、離れてみると灰色がかった、緑色のチラチラする光の面に見えると言われているものは、大変なすばらしさです。
イギリス最古のステンドグラスと信じられ、天使によってライオンの洞穴におろされ、預言者ダニエルに力を貸す預言者ハバクを描いているという事です。
イギリスという国は幽霊と気が合う(?)のでしょうか、今日でもヨークには幽霊の出る地下室を持つビルがあり、シーズン(?)になると、ツアーが組まれるという事を、昨年新聞か何かで読みましたが、「ファイブ・シスターズの窓」 にも因縁話しが伝えられています。
第一次世界大戦の時、戦禍を避ける為にステンドグラスは取りはずされていました。戦争も終わり(1918年)、取りつけようとしたが、鉛線を取替えなければならなかった。
ところが、ヨークには鉛も、それを買うお金もなかった。1924年に、ヨークシャーのリヴォルクスという修道院の遺跡を発掘していたところが、鉛が発見されたのです。
この修道院は、1539年に廃止されたという事ですから、400年近く眠っていたわけです。鉛は見つかったが、これを加工し、パネルを組み直すお金が無かったというのです。
その時、一人のヨークの夫人が修道院教会堂で不思議な体験をするのです。
或る夕方、ずっと前に亡くなった二人の姉の亡霊に、ステンドグラスがはずされたままになっている窓の所へつれてこられ、幻が消えると別の亡霊が現われ、導かれるままに行くと、五人の女の人達が、庭で針仕事をしていた。
彼女は窓を修復する事が、大戦中に亡くなったイギリスの婦人達の霊を慰める事になるのではと悟り、修復費用の募金に立ち上がったのです。約三万の婦人達がこれに応え、1925年、見事「五人姉妹の窓」は再現されたのでした。
(この記事を無断で転用、転載することを禁じます)
以上、田中幹敏夫先生の 「ステンドグラス 世界の旅 その一」 でした。何だか、本物を見たくなりましたね!
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