鳩山会館のステンドグラス見学
今日は、先日訪ねた鳩山会館で見学した小川三知のステンドグラスのレポートをします。
東京の古いステンドグラスを語る時、必ず出てくるのが、1910年前後。
宇野沢辰雄が、日本で初めてのステンドグラス工房を作ったのが、1906年。
小川三知が、アメリカ研修から1911年に帰国し、日本で初めての工房を開いたのが1913年。
それまでのステンドグラスは輸入されたもので、おそらく国内で作ったものではなかったはずです。(諸先生に怒られそうなので、断言は避けますが・・・)
それから、1923年という年。さて、何が起きた年でしょう?
そう、関東大震災が起きた年です。
まず、1910年前後と1923年という年号を覚えていてくださいね。
鳩山会館、旧鳩山一郎邸は、1924年に建てられた洋館です。
そう、関東大震災の翌年なんですね。1995年の洋館の大改修工事をした際、ステンドグラスも修復されたとのことです。修復とは、オリジナルに忠実にきれいにすることで、鉛線で組んだガラスを解体し、そのガラスを洗浄し、割れたり薄くもろくなってしまったガラスはできるだけ同じガラスを探して交換し、そして鉛線で組みなおすという作業を言います。
震災にあっていないということは、修復の際、ガラスはそのまま残っていたのでしょう。いくつか新しいガラスと入れ替えた様子はありましたが、昔のままのココモ(米国のガラスメーカー)を使っていると思われます。
今でこそこのステンドグラスが小川三知のステンドグラスと知られていますが、その頃まで、知られていなかったそうです。
正面玄関を入るとまず大理石の立派な階段があります。この階段の上で後を振り返ると、19羽の鳩をモチーフにしたステンドグラスが見えます。
小川三知は、米国シカゴ美術院へ日本画講師として行き、ジョン・ラ・ファージやルイス・カムフォート・ティファニーに影響を受け帰国しました。芸大日本画科出身で、日本画家からステンドグラス作家になった人です。
しかし、この19羽の鳩のデザインは同じ日本画科の後輩である大村友雄によるもので、小川三知と多くの仕事を共にしています。
(左)
(右)
いまではオパルセントの種類もメーカーも多くなりましたが、この時代には、ココモのガラスはアメリカから持ち帰ったばかりの高級品です。当時としたら、「ココモをふんだんに使った贅沢品!」 だったことでしょう。
長くなりましたので、今日はここまで。次回も、鳩山会館のステンドグラスをご紹介します。