掛川見学ツアー レポート-2
いまから50年前。
1964年 東京オリンピックの話?
いえいえ、「掛川市 ステンドグラス美術館 見学ツアー」 のレポートの続きですよ!
このツアーの前に、生徒さんから最も多かった質問は、
「どうして、そんなに価値のあるステンドグラスがたくさん日本にあるんですか?」
でした。
50年ほど前、1968年の話です。
イギリスでは、歴史の流れの中で、かなりの数の教会が取り壊されることになり、ステンドグラスも壊されました。
過剰になった教会を閉鎖する法律が制定されたからです。
16Cの宗教改革でも、ステンドグラス受難の時代があったのに、また・・・
それで、かなりの数の美術品の所蔵品やステンドグラスが、美術商へ流出したと思われます。
世界各地のコレクター・アンティークショップ・レストラン・結婚式場・・・ へと流出したのです。
そういったステンドグラスが、どこでどうしているのか・・・
世界各地にバラバラになってしまったのでしょうね・・・
しかし、ある日本人コレクターが、それらを収集していたのです。
その日本人コレクターが、「掛川市 ステンドグラス美術館」 を寄付した、鈴木政昭氏です。
掛川市内の耳鼻咽喉科のお医者様で、
50年かけて収集したそうです。
芸術は、多くの人に見てもらうべき、とのご意志により、こうやって公開することになったのだそうです。
「どうして、鈴木政昭氏は、そんなに価値のあるステンドグラスを収集していたのですか?」
この質問も多かったのですが、
価値のわかる目利きだったのでしょう、
ステンドグラスの絵を解釈できる方だったのでしょう、
としか筆者は答えることができません。
だけど、「集めてくださって、ありがとうございます!」 と言いたいですね〜
前述した、「教会の取り壊し」で、
「特に、イギリスの19Cに建てられた大規模な教会」
の資産の流出が激しかったそうです。
オークションなどで美術品を買い付けるときに、シリーズで買ったということなのか、
直接、購入の話しが来たのか・・・
そんな話も聞いてみたいです。
今年、2015年6月、
この美術館が 「公立の」 美術館として
作られることを機に、綿密な調査が行われたそうです。
そして、イギリスやフランスに何度も通って調査し、これらのステンドグラスの出所がはっきりしたのだそうです。
1860年から30年くらいの間の、
イギリスの盛期ヴィクトリア朝の作品が多いそうです。
同じ教会で、同じ時期に入っていたステンドグラス
それが、シリーズでこの美術館にある!
これ、すごいことですよね。
たしかに、教会のステンドグラスは、一枚で完結する物語は少なく、
何枚かで聖書の逸話をあらわすものですし、
四大聖人は、4枚ないと・・・
この美術館を機に行われた調査で、
こんな立派なステンドグラスが日本にあることが、イギリス本国の知るところとなり
アーカイブされていくことになったのだそうです。
ステンドグラス好きとしては、鈴木氏が救世主に思えます。