伊勢丹のステンドグラス大窓
前回のブログで、
「忘年会のあとは、紅葉をみながら、三々五々散歩に出かけた方も多いようでした。」
と書きましたが、
私は何名かと一緒に、忘年会の会場から近い、新宿の百貨店 「伊勢丹」へ。
伊勢丹の本館の7階から屋上庭園に出る、第二号階段の途中にあるステンドグラスを見に行きました。
おっ、これか!
ここは、明治通り側を向いている窓です。
新宿で仕事をして、30年以上たつというのに、なんと! これを見るのは初めて!
伊勢丹には来るけど、屋上には来たことなかった。(結構すてきな屋上庭園がありました。)
このステンドグラスを実際には見たことなくても、知っている人は多いのでは?
そう、「田辺千代著: 宇野澤辰雄の世界」 という本に掲載されています。
裏表紙にもなっているので見たことがあるのではないでしょうか?
本で見たイメージだと、もう少し、黄がかかっているのかと思いました。
この窓は明治通り側、つまり南東を向いている窓ですが、西に夕日があると、こちら側の窓も赤みがさして、色が変わるのでしょう。
わずかに、うす緑、うすピンクなどが使われているほかは、クリアや薄アンバーのキャセで作られています。
いろいろなマチエールのキャセドラルガラスがキラキラと輝いて綺麗でした。
ステンドグラスの室内側にも保護ガラスが入っているので、写真には、四角いガラス扉の形が映りこんでしまいました。
写真は屋上庭園を背にして撮っています。背にしている大きなガラス扉をあけると、すぐ屋外なので、風の強い日や、室内との温度差が多い日は、強く風がふきこむと思われます。
ステンドグラスは、急激な温度変化を与えすぎると傷みやすくなるので、内側にも保護ガラスを与えたのでしょう。(あくまで、私の私見です))
(この場所の場合の)室内側の保護ガラス、写真を撮るには邪魔ですが、ステンドグラスが大事にされているな、とステンドグラス屋としては嬉しいです。
上部のアールの部分が、何かの影になってしまっているのが残念でした。
いろいろな時間帯、いろいろな天気の時に来て、また見たいと思いました。
「宇野澤辰雄の世界」 という本に掲載されていますが、それによると、昭和10年(1935年)頃の作ということです。
宇野澤辰雄は1911年に亡くなっていますから、
「宇野澤辰雄」 作ではなく、
森勇三さんが制作にかかわったということですから、
「宇野澤スティンド硝子工場」
の作でしょうか?
「宇野澤組ステンド硝子製作所」 は、1922年に解散していますし・・・
単に、「宇野澤」といっても、
「宇野澤辰雄」
「宇野澤スティンド硝子工場」
「宇野澤組ステンド硝子製作所」とあるので、生徒さんへのテキストを書きながら迷うことが多いです。
(あいまいな資料が多くて…)
今度、「宇野澤」 と聞いたら、
工場なのか製作所なのか、
組が入るのか入らないのか、
ィ(ちっちゃいィ)が入るのか入らないのか、
気にして覚えるといいと思いますよ?
(前に間違ったこと言ってたらゴメンナサイ! 先に謝っちゃいます。)