2008/06/30  (月) 

新大久保に工房が出来て31年

新大久保に工房を創設してから、満31年になりました! 主宰者は変わりましたが、ますます元気に続けています! 私もここには30年近く通っているんだなぁ・・・ と思い(ギャー! 歳を聞かないでね!)、この地とも長いつきあいになりましたので、今日は、町名の由来などをご紹介します。

 

工房がある東京都新宿区の山手線 「新大久保駅」駅前あたりは、“百人町” という町名です。かつて鉄砲組百人隊が住み、小泉八雲ら明治の文人たちが暮らした、つつじが咲くまちとして知られています。

大久保通りから、山手線 新大久保駅のホームを望む:

(左側の白いテントの店の所の路地を入ると工房です。)


 

“百人町” の町名の由来:
徳川家康の江戸入府の際、鉄砲同心は西側の警備に当たりました。鉄砲組は同心百人を配属されたので百人組と呼ばれました。
現在、工房のある百人町二丁目は、江戸時代初期には「大久保百人大縄屋敷」と呼ばれ、町名の由来となっています。

 

 この付近はもともと、つつじの自生地でしたが、鉄砲隊が屋敷内でつつじの栽培をしたことから、江戸時代からつつじの名所としても有名になりました。

 

現在も、商店街では、“つつじ祭り”が行われています。

(レストランCASAのあるビルは、工房がある染矢グロービルと一緒に建てられたビルです。このビルのベランダには、つつじが咲き乱れていますよね。これも、この地域のそういう由来によるものなのかな。)

 

 

 


「鉄砲組百人隊行列」は、新宿区登録無形民俗文化財に指定されています。毎年九月に、工房のすぐそばの皆中稲荷神社で「鉄砲組出陣式」から祭が始まります。

 

鉄砲組の与力が参拝し、射撃を試みたら百発百中したことから、「皆 当たる」→「皆中(かいちゅう)稲荷神社」と呼ばれるようになったということです。

 

← 工房から通りに出ると正面にある、木が茂っているところ。ここが「皆中稲荷神社」です。

(その左側は交番です。)

  

※毎年ちょうどその祭の頃は、「びどりを展」の搬入の頃で、こちらの”出陣式”で、残念ながらゆっくり見たことがないんですけどね…



 

“大久保” の町名の由来:

東大久保と西大久保と間、つまり、大久保通り(駅前の通り)より南側、明治通りより東側に窪地があり、「窪」が「久保」と改名して「大久保」となっていったなど諸説があります。

 

| コメント(2)

この記事へのコメント

 へえー

先生すごーい。
今日は何が書いてあるかなァと楽しみに開いたら地名の由来でした!!
ガラスの事だけじゃなく こんなことも知っているのね。益々ソンケーです。
百人町のことは知っていたけれど、大久保のことは知らなかったよー。
そういえば 明治通りより向こうは坂だし、「戸山」って言う地名だよね。

「皆中」も皆当たるなのネ。ここでお参りしてから宝くじ買ったら当たるかな。ヘヘッ

 ネタ帳

ねこ娘さん! いや〜 こんなこと知ってたら生き字引のおばあちゃんになっちゃう! いったい私はいくつなんだ!?
ちゃんと、ネタ帳があるんですよ! 新大久保駅そばの花屋さん、「はなとよ http://www.miki-designkobo.com/okubo~shop.html#hanatoyo」のご主人が、町会関係で作成し配布している冊子をブログネタに、とくれたです。
皆中稲荷神社でお参りしてから、宝くじ買ってみよう!

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